先日「大叔父の話し」を書いたが
それに触発され思い出した親父の戦時体験。
「ぶらじる丸・Wikiより」
勤めていた大阪商船所属の「ぶらじる丸」
これが海軍に徴用されて航行中、潜水艦に撃沈され
海を二十日程漂流し生きて戻れた話しを聞いた。
NETで調べると名前は載っていないが発見した!
母に聞いたら確かに同じ話しだと言う事だった。
それに触発され思い出した親父の戦時体験。
「ぶらじる丸・Wikiより」
(興味のある方はこちらをどうぞ)⏫⏫
これが海軍に徴用されて航行中、潜水艦に撃沈され
海を二十日程漂流し生きて戻れた話しを聞いた。
NETで調べると名前は載っていないが発見した!
母に聞いたら確かに同じ話しだと言う事だった。
既に鬼籍の父は外国航路の船乗りでした。
大阪商船で働き、事務長(パーサー)まで
1942年(昭和17年)8月5日、第二次世界大戦中に、
日本海軍に接収された大阪商船所属の民間船
「ぶらじる丸」で航行中、フィリピンの
遥か沖でアメリカ海軍潜水艦に
魚雷3発で撃沈されたのである。
辛うじて救命ボートに移れた父は漂流する事
20日以上となって救助されたらしい。
サメに食われた同僚、自死で入水した同僚、
本当に死を覚悟したと言ってた。
そんな父の体験記、それがWikiに載っていた!
その時死んでしまっていたらおいら達
兄弟共は居ないのね。甥っ子も姪っ子も…
再建造されブラジル移民船として知られる
「ぶらじる丸」は1954年(昭和29年)に就航、
敗戦記念日と父は言う、平和祈念の日とも言おう。
きな臭い憲法改正論や、自国第一主義論、
平和に暮らせる有難みを遠ざける事件や
動きがある様に思うがどうだろう?
今一度、平和の尊さを考えませんか?
子供に、未来に、同じ地球の船の仲間の為に。
おやすみ~~
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