祖父をNETで見つける

身内ネタなので悪しからず。

1929年1月写す
90年経ち全て鬼籍に入りました。

父親方の兄弟の奥様が亡くなった。
その娘さん家族の手でお墓に入れる話の中で
こんなブログを見つけたそうな。
「岡田三郎助に学んだ洋画家・辻 永 
〜山羊を愛した三兄弟が心に描いた “ 理想郷 ”」
画家・辻永はおいらの祖父の兄(大伯父)で
その中に祖父のあれこれや事故の事も載っていた。
大伯父は日展初代理事を務めた画家で
文化功労者にもなってWikipediaに記載されている。
1920年10月、藤田嗣治とパリにての写真

その大伯父の弟で辻衛が我が祖父な訳である。
で、自動車事故ならば新聞に載っている?
そう聞いていたので国立図書館で調べて来た。
そしたら見つけました!昭和4年8月25日
東京日日新聞記事でした、記事は縦書き。
「居睡り自動車で辻衛氏重症。
廿四日午前五時四十分麻布區笄一六八笄坂を
神谷町行市電(運轉手木村林)が進行中
反對の方向から市外千住町中組三二九
上野方眞壁親太朗(二一)運轉の自動車が
府下世田谷太子堂三三九共樂美術俱楽部員
辻衛(四二)氏を乗せ疾走し來り正面衝突し
自動車は跳ね飛ばされ辻氏は運轉手と共に
瀕死の重傷、市電運轉手も運轉台から落ち
三週間の傷を負ひ赤十字病院に収容された、
六本木署で取調中であるが自動車運轉手は
居睡りをしてゐたのが原因だと」
1929年8月26日葬儀

辻永を支え山羊園を開き、カフェを経営、
望沙留荘なる画廊を開き若くして亡くなる。
そんな境遇でおいらの親父は、
父を亡くした一家を大阪商船で
働き支え、一家を構えて事務長まで勤め上げ、
おいら達兄弟が今居る訳だ。

伯父や伯母達も色々な苦労を聞きました。
今更だが殆ど知らなかった御先祖の事を
話しでなくNETで知る。不思議な時代だ。
画才も文才も一切無いおいら、突然変異だね。
おやすみ~~

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